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ぼちぼち
by eriko621
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お世話になった人たちと会う
田舎から戻った翌日、また会社へ。その帰りに、以前の会社にも顔を出し挨拶しに行きました。そこで相方の好きな(元)同僚がいて、私の元気な姿見れてほんとに嬉しい、と優しい笑顔。さっそく夕食一緒に行きましょうと誘われ、それを受けることに。行く先々でうちに来て、一緒にご飯食べようといわれるので、適当に約束する相方にハラハラします。泊めてもらっている義姉には今朝、好物のハムルクザルトマス(揚げパン、中にチーズやパセリを入れる)を作ってよ、と言っていたくせに。




帰ると案の定、義姉は張り切って大量のハムル(パン生地)を作って、揚げていました。その横で「じゃ行くから」とは言いにくい私。しかも夜は別のところで泊めてもらう約束まで。
結局ネブシェヒルまで行き、夕食をご馳走になりました。颯爽とベンツで現れ、「これ買ったの?」と相方が聞くと「今日、あなたのために買ったんだよ」と冗談。いぃですなぁ。うちはトルコ滞在中友達に借りた車で、日本でも車無しで生活してて、えらい違いです。正直ここで車いらないもん(これ言っても何やらの遠吠えにしか聞こえないなー)。
奥さんは香港の方で、ミキさん のこともよくご存知でした。国際結婚同士、やっぱり将来はどこで住むことになるんだろうか、なんて話をしました。相変わらず華奢で可愛らしい方でした。注文しすぎたのか、大量に余ったお肉を包んでもらってススルにドギーバッグのお土産。

その後ウルギュップに戻り、私たちが以前住んでいた界隈のバッカル(小さなマーケット)のお姐さんから招待を受けていたので、一泊泊まることになりました。一階がお店、二階が住居になっているのです。このお姐さん、ずいぶん前に離婚し、女手1人で子ども2人を育ててきた強い人です。(しかも今は姪の学費まで出してるという)旦那がいないからうちには気を遣うことないわよ、と広い部屋を用意してくれていました。義姉の家でも泊めてもらえますが、早くに退職したイェニシテ(義姉の旦那さん)が昼間もうちにいるので、何となく落ち着かないのです。それを察したかな~。
こことは付き合いが長く、相方の日本行きが急遽決まったときも、快く店の裏の倉庫を使ってもいいと言ってくれました。引越し準備が1週間くらい。家具や荷物を今でも預かってくれてます。倉庫をざっと見ましたけど、あんな家具捨ててこりゃ良かったのにと思うようなものばかり。1人で捨てる捨てないの判断する時間も無いくらい慌しい時期だったので仕方なかったかもしれません。あと義姉のうちにも荷物を置いてもらってます。

 姐さんの家に行く前にも、以前住んでいたアパートの家主さん一家から招待を受け、少しの時間お茶を飲みに行きました。娘さんは婚約し、今年夏に結婚予定だそう。今、歯医者さんで働いているらしく、その歯医者によく日本人が来ると言っていました。あぁ~、ちえさんが言っていたのはこの子のことだったのかと合点がいきました。真ん中の2階に住んでいた家族は娘の学校入学にあわせて、違う地域に引越し(この学区の学校気に入らないようで)、今は警察官が住んでいるそうな。3年近く経つと色々と状況が変わるなぁと思いながら、今でもこうしてお付き合いが持てるのは実は非常に貴重なことなんじゃないかと思えてきました。
奥さんたちには、前より「アチルムシュスン」(開けた、明るくなった)と言われてしまいました。最初の頃はストレスとかで結構内にこもってた?私。ありがたいことにトルコ語も忘れてないねと言ってくれる人が多かったです。でも実は分かってるフリしてるだけだったりして。分からないとこ飛ばして聞いて、フンフンと相槌打ってることもあります。
チャイ飲みながら、思い出話。3家族でピクニック行ったりオーケイしたり、今思えばここはいいとこだったなぁぁ。
遅くなってきたところで退散し、のんびりバッカルのお姐さんのうちで泊めてもらいまいた。

翌日は、再び会社に行き会議。前に行った時にこっちでよく起こる問題点を箇条書きに書き出しておいたのです。未だに同じような問題が起きます。前よりだいぶマシになったけれど。すると会議後に同僚が「問題なくなったらすることなくなるじゃん」みたいなことを言っていました。確かにー。でも問題ゼロには絶対に絶対にならないです。でも以前よりちゃんとした感じがして、頼もしい(前どんだけ適当だったのとは聞かないで)。

 その日の晩は晩で、オルタックからの招待を受け、一緒に夕食を食べにまたネブシェヒルへ。昨日のレストランのなんと隣。流行ってんのかな。6人分の超ロングピデが美味しかった~。薄い生地で、長さが2メートル!くらい。あとタンドル(釜)でじっくり焼いたラムもとろとろで絶品でした。写真ないけど。
子どもたちは相変わらず静かであまり話してくれません。嫌われてんのかな、ってくらい。
またもご馳走になって、オルタックの家でお茶を飲みながら話を。ここの奥さんもトルコ語では話しません。他の人が言ってることは分かってるけど、自分が話すのは英語かスペイン語。子どもたちはトルコ語、スペイン語はもちろん英語も分かっているようです。

その日は早めに辞退して、義姉の家に戻りました。
そして最後のウルギュップ泊。


続く
by eriko621 | 2009-05-27 01:26 | 渡土日記
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